デカフェの存在とは。
コーヒーが、まだ医学的にも科学的にも研究されていない頃、人々は目に届かない世界の情報や耳に入らない情報よりも、手の届く範囲の、つまり、「百聞は一見に如かず」の実感が全ての世界でした。
コーヒーを飲むと眠気が飛んでシャッキリするな、とか、リフレッシュできる、など、生活に利用できる面しか見えていませんでした。
飲んでも人並みの寿命を迎えられるし、いきなり倒れるということもない。周りを見渡してみても、コーヒーで害を受けたということもそうは見聞きしないし、歴史を見ても、先祖代々コーヒーを飲んでいるし、異変というのも聞いたことはない。
我々は、歴史という長い時間にわたる人体実験の結果、コーヒーは安全と思っているだけにすぎませんでした。
やがて医学や科学が発達すると、コーヒーの利点だった「なぜ眠気が飛ぶのだろう?」とか、「なぜリフレッシュできるのだろう?」という利点が、利点だったがゆえに疑問を持たれていきます。我々が生活に活用していたコーヒーの利点は、果たして本当に利点だけなのだろうか、と。
そして医学や科学は、コーヒーの利点がカフェインだったことにたどり着き、カフェインを解明されていくと、いいことばかりではないと、ようやく近年になって表面化してきたのです。
ただ、その時にはコーヒー文化は世界中に広まっており、駅前には喫茶店やコーヒーショップが並び、コンビニでもコーヒーは飲み物の主力と言っても過言ではないほど並んでいます。
それは、危険と言っても、普通に飲めるし特に害も感じず、むしろ手に入りやすい身近な眠気覚ましの方法としての利点のほうが、遠ざける理由よりも優っているからです。
カフェインは医学的にも、摂取しても人体から時間とともに減少していくことは確認されているので、適量であれば摂取する事も問題ないとみられています。
薬でも、分量など注意してください、と注意書きがあるほどです。カフェインも取りすぎなければある程度は大丈夫という見解の方も多いでしょう。
ただ、はっきりと気を付けなければならないのは、妊娠中の方、いわゆる妊婦の方や子供です。
昨今の研究結果を見ても、明らかに妊娠中の方(妊婦)には、子供に影響が出る恐れなどが強く唱えられ、女性に関しても骨折しやすくなるなどの研究結果が出されています。
ただ、そういう人たちが、すぐにコーヒーや紅茶など、カフェインを含む飲み物をやめられるかといえば、そうではありません。
妊娠をされる前には、日常生活には当たり前にコーヒーや紅茶・緑茶はあったでしょう。
人間には水分が絶対不可欠です。水分を取る手段としてコーヒーや紅茶・緑茶は、切り離せない存在になってしまっているのです。
口にするのはただの栄養素ではありません。たんぱく質が欲しければたんぱく質を、水分が欲しければ水を飲んでおけばいい、理屈ではそうですが、それではサプリメントなどでそれらの栄養素が取れれば食事は必要ないのか、となってしまいます。
いつしか人間は時代とともに、栄養を取るために食事をしているのではなく、食事をした結果栄養をとっている生活になってしまったのです。
ただ栄養を摂るのではなく、美味しい食事を求めるように我々は、今更水分を取るのに水だけ、という生活に戻れるはずもありません。
水もミネラルウォーターなどの選択肢が増えているので、水だけでも可能と言えば可能かもしれませんが、ふとした時に紅茶をコーヒーなど、温かいものを飲みたくなる時もあるでしょう。(水も温めれば温かいものと言えますが、白湯ではどこか味気ないでしょうし)
水分を楽しく美味しく摂りたい、そういった欲求に応えてきたのも、コーヒーや紅茶だったのです。
そして本題に戻りますが、妊婦の方々や女性たちからその楽しみを奪うのか、というのは酷な話です。とある調査では、女性の毎日コーヒーを飲む人の割合は、20代でも5割、30代で6割と言われています。それほど、日本にコーヒー文化が強く根付いているのです。駅の周りには大手のコーヒーショップが当たり前かの様にある様子を見れば、納得せざるを得ないところです。
問題ははっきりしています。カフェインです。カフェインさえなければコーヒーや紅茶を飲んでも、楽しんでも問題ないのです。
そして、デカフェ《カフェインレスコーヒー》にはカフェインはほぼ入っていません(0ではありませんが、99%以上のレベルでカフェインは除去されています)。
デカフェ《カフェインレスコーヒー》は、女性の方々が危惧するカフェインを限りなく可能な限り取り除いたコーヒー豆なのです。
デカフェ《カフェインレスコーヒー》は、そんな、コーヒーを楽しみたいという欲求に応える救世主となりうるのでしょうか?
デカフェ《カフェインレスコーヒー》が誕生した当初、危険な薬剤を使った抽出法などでさらに人体を危険にさらすなど、何のためにカフェインを取り除いたかわからない結果に終わりました。
やがて新たな抽出法が見いだされるも、安全性は飛躍的に確保されたものの、カフェインと同時に、コーヒーを彩る風味や味も抽出してしまい、ただの黒い水に成り下がる、といったこともありました。
ただ、それでもデカフェ《カフェインレスコーヒー》は進歩し続けています。それは、カフェインを遠ざけたいが、コーヒーを飲みたいという、コーヒーを愛する人たちに応えるために。
そして最近は、デカフェ《カフェインレスコーヒー》を製造する施設の向上やノウハウの蓄積により、しっかりとカフェインを取り除いたうえに美味しいデカフェが多く作られるようになりました。
過去、デカフェ《カフェインレスコーヒー》を飲んで味にがっかりされた方も多いでしょう。しかし最近のデカフェ《カフェインレスコーヒー》を一度お試しいただきたいのです。
正直、いまだに有名な喫茶店でも美味しくないデカフェ《カフェインレスコーヒー》を出すところは多いです。
カフェインがないんだからこんなものかな、と言い聞かせながら飲んでいる方も多いでしょう。
確かに、デカフェ《カフェインレスコーヒー》を飲んだ時、この物足りないのはカフェインなのかな、といったような「何かが足りない」感は否めません。
そもそもカフェインは刺激物なのです。刺激がなくなったら物足りないと思うのも無理はないかと思います。カレーが辛くなくなったらどう思うかと同じようなものでしょう。
それでもカレー以外のうまみを感じるのか、辛くなくなったカレーはカレーと認めないのか。
デカフェ《カフェインレスコーヒー》をカフェインがないとコーヒーと認めないのか、それは各個人にお任せするとして、最近のデカフェ《カフェインレスコーヒー》は、本当に美味しくなっています。昔のコクもうまみもないデカフェ《カフェインレスコーヒー》よりはるかにコクもうまみもあり、コーヒーの本来の味をほとんど出せるデカフェ《カフェインレスコーヒー》が多くなりました。
コーヒー豆をありのまま飲めないならコーヒーをやめればいいのに、と思うかもしれません。しかしコーヒー業界はコーヒーを愛する人たちを見捨てることはしませんでした。それは、コーヒーはカフェインがあるから美味しいのではなく、コーヒー豆がカフェインに頼らずとも、他の部分でも十分美味しいということを伝えたかったのかもしれません。
カフェインの有無でコーヒー豆の評価が変わるわけではない、コーヒー豆の魅力はカフェイン以外にある、コーヒー豆の底力はこんなもんじゃないぞ、そんなコーヒーを生業とする人たちの矜持が、デカフェ《カフェインレスコーヒー》に込められている、私にはそう思えるのです。
もちろん、カフェインを遠ざけたい、といった需要があったかもしれません。しかし私には、デカフェ《カフェインレスコーヒー》は、コーヒー豆の本質、いつも舌先や喉で漠然と感じていたコーヒーの美味しさの正体を証明するために存在しているのではないだろうか、と感じています。
カフェインがコーヒーの全てならば、デカフェ《カフェインレスコーヒー》がこんなに美味しいはずがありませんから。